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漫画家、岡田史子さんのこと [ホロスコープ]

岡田史子さん(1949~2005)は、60年後半~70年代に、主にCOMで活躍していた漫画家です[ドコモ提供]

月刊「COM」(1967~1973)というのは、「描きたいものが描ける雑誌」として手塚治虫氏が創刊した試験的な雑誌です。
当時の読者だった方が、この記事を読んでくださっている可能性は大変少ないと思いますが、同じような漫画雑誌には、有名な「ガロ」があり、白戸三平や、つげ義春、林静一など、漫画界の異才をあまた輩出し、やはり商業性よりも作品のオリジナリティを重視した雑誌だったため、COMも、同じような位置づけができる漫画雑誌と言えます。

岡田さんの作風は大変感覚的、観念的、文学的、かつ強烈なインパクトを持つものでした。
既成の約束事を無視して、詩のように情感に訴え、若い読者を魅了した漫画家です。
漫画史において大変重要な方なのですが、作品数が少なめな事と、早くから筆を折ってしまわれた事によって、一般の人にはあまり知られていないようです。
単行本も私の知る限りでは8冊だけだと思います。

決して万人受けしないし、一部のファンからカルト的に扱われるといった漫画ですが、この特異な才能と斬新さに刺激を受け、作品にそれぞれ反映させていった漫画家の方も多いと思います。
彼女の流れを引き継いだといわれる漫画家には、24年組の作家さんに多くあり、少し時代を下ると、漫画界のニューウェイブと呼ばれる高野文子さんなどがいます。

岡田作品の特徴として、まず絵柄ですが、一作品ごと違う画風で描かれています。
写実的なもの、デフォルメされたポップアート調のもの、銅版画のような精密なもの、ステンドグラス風、ラフなタッチ、東洋風の枯れた絵、レイモン・ペイネ風、童画風、まつ毛の長い少女マンガ風・・・
本当に様々です。

作画を一作品ごとに変えると言うのは、ものすごい引き出しと労力がいると思うのですが、それを「同じ画風では飽きてしまうから」と言った理由でやってのけられるのは、岡田さんが非凡である証拠でしょう。
また、どのコマも単独のイラストとして成立するほど美しく、アートと言っても違和感ありません。
実際、夢に見た風景をコマに描いていたりしたそうですが、やはり観念的な漫画を描かれる、つげ義春さんもそうである事を思い出しました。

テーマにしても、基本的に純粋な魂と社会との葛藤や軋轢、自由であろうとする人間が、社会の中で疎外されていく様であったり、または、強迫観念的なもの、幼児期の不安や思春期特有の潔癖さを題材にしたものなど、感性の瑞々しい人たちの共感を呼ぶものです。
精神疾患や精神障害の人を取り扱ったテーマも多く目立ちますが、それはのちに神秘的な存在を描きたかったからであると述べています。
ギリシア神話、北欧神話に対しても造詣が深く、素材として多く取り扱っていますが、これも山岸涼子さんに影響を与えていると思いますし、宗教的な主題は、萩尾望都さんの作品にも受け継がれていると思います。

哲学的で、時間・空間の形式の制約を受けないもの、超自然的でシュールなもの・・・
作品のどれもが、軽々と時代を超越してしまっていると思うのです。

作品のほとんどは、高校生の頃から20代前半に描かれたものだそうですが、つくづく非凡な才能に目を見開きます。
私も漫研にいたこともあって、岡田さんのような漫画が描きたいと思ってみたものの凡才ゆえに、このような思わせぶりな台詞やら、むずがゆくなってしまうだけでした(笑)
やはり大元の感性が違い過ぎるのです。

岡田さんの作品は、読むのではなく、感じるための漫画といって良いでしょう。
ある一コマをとっても、キリコの「街の神秘と不安」のような背景が描かれていますが、建造物に照りつける光としての白い余白の部分が際立って、影とのコントラストを生み、眩しければ眩しい程、広場の寂寥感と静寂さを引き出してしまうと言ったような・・・意識してかどうか分かりませんが、得も言われぬ孤独や不安感が伝わってきます。

初めて作品に触れた時と比べ、今は雑多な異分子が取りこまれてしまった熟年ですので(笑)、昔より感動は少なくなってしまいましたが、それでも久しぶりにページを開いてみると、キラキラとしたガラス細工に触れた時のような、怖れを持って少し緊張するような感じが蘇って来ました。

亡くなる前の年に出版された「オデッセイ 岡田史子作品集」には、「自分史を語る」という記事が巻末にあり、時代を隔たった今、漫画と同じように神秘のベールに包まれていた岡田さんの生身の人間としての姿を、垣間見る事が出来ました。

育ってきた家庭の事に始まり、高校生からCOM時代の終わる21歳くらいまでの事。
本が大変お好きであった事。
学校は、図書館や文芸部のために存在していたようなもの、と言っていたくらいだそうです。
デビューするいきさつや、仕事、恋愛の事など、大変赤裸々に綴られています。

好きな漫画を描くため恋人と別れ、描いていない時は辛く、意識があるのに耐えられない感じになり、死にたいと担当編集に告げたら、「俺も死にたい」と言うので、彼と睡眠薬を持って一緒に冬の雪山に心中しに行ったくだりがあり、まさに人に歴史ありです。
作品と同じように、純粋で繊細な感性を持って生きてこられた方なのでしょう。

そして、岡田史子さんのチャート(1949年7月23日)を観てみると、個人天体が全て、ヨッド、変則ヨッドに関わっていたのは、やはりという思いで衝撃でした。天才的な人だけが持つ、特徴的なチャートです。

まず太陽と水星合に木星が180度が軸としてあり、太陽と水星の両側に、30度の位置にそれぞれ金星と月、火星合が配置され、木星とは150度です。
重要な天体はすべてヨッド、変則ヨッドにからめられているので、ヨッドだけで形成された菱形のカイトを作っています。
30度も150度も、男女、三区分、エレメント、個人天体同士で一致しないと言うのは大変苦しそうですが、こういった縛りの中でも見事に統合し、才能として開花させたのでしょう。

金星、月の、優しく繊細な感性の世界を、太陽、水星合と木星の強力な力で、ペンによって広げ発展させていくという風で、柔らかいむき出しの部分にも直結した岡田さんの心象風景や、ご自身の姿を描かれているのだと思いました。
言葉にならない、自分の中から噴き出してくるものを描く、と言った風なのでしょう。
まるで、遠い所から神様のような何かが降りて来たように、執筆されていたのではないかと思います。

ダブルヨッドは大変複雑ですので、感性がどうしてもストレートには伝わり難いでしょう。
おそらく幼い時から、自分は誰にも理解されていないと感じて来られたのかも知れません。
記事の中でも、当たり前の事が自分には出来なくて、普通の人に出来ない事が簡単に出来る、とも述べています。
自分は、他の子とどこかが違うと感じながら、生き辛さを抱えていらっしゃったのかも知れません。

しかし幼いころから本の世界にどっぷり浸かっていた事が、岡田さんの可能性を広げるカギになったのでしょう。
水星と木星の力を使って、独自の感性を見事に漫画として開花されました。

社会的な木星という星が関わっている事で、才能が認知され世に出る事が出来たのです。
そこには、彼女にしか果たせない役割や使命を携えての成功だったのでしょう。
岡田さんには、ヨッドが示す通り、神に与えられし使命があったのだと思います。

早い時期の成功と、また筆を折ったと言うのも、動きの速い天体で占められていたからでしょう。
そして最後の単行本が出版された翌年、55歳と言う若さで世を去ってしまいました。
あまりにもヨッド的過ぎます。

理由なき内的な衝動傾向を観るハーモニックでも、やはり特徴的配置でした。

やむにやまれず追い求めてしまう 夢や願望、芸術性を観るHN7では、太陽と金星の180度が、太陽同士同じ度数でピッタリとN太陽の上に重なり、水星と海王星180度も、N火星の上に重なっています。
夢の地続きに現実があって、どちらがどっちなのか分からなくなるような感じです。

現実社会での成功や知恵、仕事を観るHN8では、金星、水星、月のグランドトリンがN月の上に重なっています。しかし、時間不明のためこれは確かではありません。
そうだとしても、やはり美的表現にすぐれた水星と金星と月が、常に密接に繋がりを持っているといった傾向はあるのではないかと思います。

インドでは重要視し、結果、宿命、魂の行きつく先を観るHN9では、水星、金星、冥王星、月の綺麗なグランドクロスがあり、冥王星がオーブ緩めでN金星の上に重なっています。
冥王星ですので、魂にはいつも重いものを抱えて生きてこられたのでしょう[ドコモポイント]


「その頃、嬉しいとか楽しいとか、そういう気持ちはありましたけど、完全に心が満たされるということはなかったですね、漫画を描いていても。私は喪失感というか、ずっと持っていた疑問みたいなもの、それを埋めてくれる人を探し求めて、漫画を発表していたんです。だけども、誰もいなかった。私がそういう人を求めているということに気づいた人さえいなかったから。
 今後漫画を描く予定は、まったくありません。もう終わったんですよ。もしこれから描くとしても、私自身がすごく変わっちゃったから、昔の作品を好きでいてくれた人を満足させられるようなものが描けないと思います。」
2003年 エキサイトブックスの、岡田史子インタビューより


単行本

「ガラス玉」(朝日ソノラマ社)
「ダンスパーティー」
「ほんのすこしの水」
岡田史子作品集1赤い蔓草(NTT出版)
岡田史子作品集2ほんの少しの水
岡田史子未発表作品集1966~1988(まんだらけ)
ODESSEY1966~2003岡田史子作品集 ガラス玉(飛鳥新社)
ODESSEY 1966~2003岡田史子作品集 ピグマリオン


comic2.gif



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キョウコ

ままみさんこんにちは!

岡田史子さん、私はこの方の漫画を読んだことがないのですが、主人は知っていました。

作品の持っている繊細さゆえに鋭敏に感じてしまう生きていくことで起きる様々な痛みや、そこから救われたい渇望をご本人が常に感じているとしたら、どれほど息苦しくあえいでいたのだろうと思います。

天才的で、画風をその都度変えていた、というのもすごいですね。自分に収まりきらない溢れるものをどこかに移さずにはおれなかったのでしょうね。

その才能に憧れる方からみれば、すばらしいと感じますが、ご本人の心の満たされなさを思うと幸せって何を持っていうのだろう、と考えてしまいます。

他の方が出来ないことを世に残したけれど、救われがたい心を持ったまま生きてゆくのは、ある意味、世の中に何かを残す為にご自身を犠牲にする生き方を選んで生まれてきた、ということなのでしょうか。

なんだか、心がぎゅっと締め付けられます。


by キョウコ (2012-05-06 11:32) 

ままみ

キョウコさん、コメントありがとうございます!

記事の内容を丁寧に汲み取って頂き、素晴らしい文章にする事ができるキョウコさんには、いつも感服しております^^

ご主人はご存じだったのですね。
傾倒していた学生の頃は、趣味仲間が結構いても、今の自分の環境では知っている方が皆無なので嬉しいです。
芸術家などは、存命の間、その価値が認められなくても、亡くなってからその作品の価値が上がったり認められるといったケースが多いですが、岡田史子さんも、後世まで、語り継がれて欲しい伝説の漫画家です。

天才的な方と言うのは、回りが思うほど楽ではなく、本人はボロボロに傷ついていたとしても、回りは才能をうらやましがったりするだけで、痛々しいですよね。
ヨッドは、自分にないので想像するだけですが、どんなに良いものを持って生まれたとしても、それは楽をするためのものではなく、満たされず、その人の幸せに繋がらず、むしろ苦しさに変換されるなど、まさに神のいたずらと言ったような宿命なのでしょうね。

あの詩的で素晴らしい世界を表現するため、また、後に続く漫画家たちへの先駆けとして、果たすべき使命があって、この世に生まれてきたという、お役目を持っていらっしゃった方なのだと思います。

もし、機会がありましたら是非お読みになってみて下さいね^^

by ままみ (2012-05-07 23:39) 

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