連続テレビ小説「あさが来た」は大阪弁のテンポも良く、毎日楽しく見ていますが、早いもので残りあと2週間を残すのみとなってしまいました。
許嫁、炭抗、銀行、財閥、保険会社、生死の分かれ目など、まるで8室的キーワードで統一したかのようにストーリーが進められ、多くを考えてしまうドラマです。
大番頭の雁助、中番頭の亀助、お付きのうめなど、手代や奉公人の人々が、先代の大旦那やあさに恩を感じて、最後まで忠義を尽くそうとしている姿勢には、とても感動しますし美談だなと思います。
日本人の心にはきっと、こういった忠義に感動するDNAが、より多く組み込まれているのでしょう。
礼節に元付いた義理を欠くものは恥と感じやすい日本人に対し、西洋人の場合、義理は義務と置き換えられ、良心などを介入させなくても必ずしなければならないもの、といった捉え方をする様です。
そこで8室的な象意は幅広いものの、あさが来たで感じた、義理や忠義にも通じる8室についてまとめたいと思いました。

8室にはなぜ、大きなお金が集まってくるのか、なぜ引き寄せられてくるのか、それは財閥の成り立ちや、それを支えるホールディングカンパニーの根底に流れる決め事が表していると思いました。
例えば一代で事業に成功し、大きな財を成したとしても、通常は遺産分与などで家を分けた子供達に分散され、累代が財産を維持し続ける事は困難です。
ですが、先代が子供達に対して、財産を共有、共に運用していく事を望み、その遺志を子供達が受け継いだなら、分割せずに上手く事業を引き継ぐ事が出来ます。
新たな事業を起こしたとしても、一族を総括する上位機関を設ければ、その干渉により共有した資産を独善に走って大きく目減りさせる事もなく、団結した組織の資金力や信用の利用によって、事業をさらに発展させる事が出来るのです。
財閥の大きな資産力を連綿と引き継ぎ、分割せずに維持していくためには、何と言っても一族の固い結束力、情の力の接合力が物を言うのです。

結束力で固められた縁には、一族の血縁や婚姻関係の他にも、他人ではあっても運命を共にする覚悟で繋がれた縁も入っています。
昔の、のれん分けを許された奉公人も、長年にわたって公私区別なく義理を尽くした報酬として、本家の屋号を名乗る事を許されていました。
しかし、このような中にいる限りは安心して守られるという半面、感情を合わせ組織の秩序、掟やルールには従わなくてはならないという代償もあります。
何事でもメリットが一方的に与えられると言う事はなく、そこには従属関係なり、見えないもののやり取りが絡んできます。
先代が築き上げた業績や名誉を引き継ぐには、○○家の立場を守るとか、個人の個性よりも属する組織の名誉を優先させるとか、言いなりならなくてはならないと言う事なのです。

8室は運命共同体の一員として生きる方向性を持たせますが、例えば家系を始め、学校や職場など、自分が属している集団の中で、どのように振舞いやすいかも表します。
馴染みやすいサインなどが入れば問題はないと思いますが、もし後継者が、他人ぽい天王星や水瓶座、他者と迎合し難い牡羊座や獅子座などのサインが入ってきた場合、組織の中では反骨精神が旺盛、型破りな存在になりやすいでしょう。
また、蟹座では組織に対する愛着が過ぎて、身贔屓が過剰に起こりやすいと思います。
先祖から継承するものが大きいと感じる場合、○○家に生まれた事は宿命、神の采配による運命と受け入れざるを得ないので、自然と宿命論者にもなりやすいでしょう。

8室は自分を抑えて他者に同調し、情を交わした固い絆や一体感によって、所属する組織の名誉や財産を形成し守る、と言った部屋です。
その性質は運命共同体として、個人だけでは決して成し得ない、大事業の発展へと繋げる事も出来るのです。
権力的にも強い集団であればあるほど、所属した個人の地位も高くなりますので、その力をもっと強大にするため、さらに強く結束する傾向を持つでしょう。

8室には大企業といった意味もあります。
ですが派遣や契約などの雇用形態で、会社が倒産しても共倒れにならない他人からみた会社ではなく、あくまでも運命を共にする身内目線で見た会社の事です。
その点、高度成長期頃の、組織の歯車として会社に骨をうずめる覚悟でモーレツに働いていたサラリーマンと、終身雇用で最後までフォローし、結婚の世話までしてくれた会社との関係は8室的だと思います。

現代においても、それこそ身内の様に面倒を見て育ててくれる会社であるなら、組織の規模に関わらず8室的と言えるのだと思いますが、90年代以降、山羊座にトランスサタニアンである天王星、海王星合の影響がもたらした、自由競争社会を理想とする風潮を当然と感じている世代から考えると、理解し難い感覚かも知れません。
さらに山羊座に冥王星が移ってからは、仕事の仕方や雇用形態が、以前と変わってしまったと思います。
しかし、無給に近い形で弟子入りを許され、下働きからスタートし親方に認められ、いずれ技能を伝授されるといった職人の世界では、未だ健在だと思います。