気学は、易経を母体として発展した開運のための学問ですが、易経の中には、悔と吝、という言葉が沢山出てきます。
「吉凶悔吝、動より生ず」、良い事、悪い事含めた人生に起こる様々な出来事は、人間が行動する事、移動する事で起きると言う言葉。
また、「吉凶悔吝、咎なし」といった、災いがないと言う運気の判断をする時に使われる言葉があります。

この悔と吝は、吉凶とともに出てきますが、運気の分かれ目の事を指しているのです。

吝は吝嗇の吝、けちる事、力を出し惜しむ事、人間は好調な運気が続くと、おごり高ぶり、自分を振り返る事を忘れ努力を怠たる、という意味で凶になります。
そこで後悔し改められる人は良いので、悔の方が吉の意味になります。
しかしこれも改善の努力を惜しんでもたもたしている場合、やはり事態を悪くさせますので凶の意味になってしまうのです。

吉・凶・悔・吝は、物事に躓いて後悔する事で吉と転じ、吉の状態で慢心し吝となると凶になる、そして再び凶の元を反省して吉となると言った、成長のための延々とした巡りなのです。

運勢には必ず波があります。
特に東洋の占いでは星が規則正しく回ってくるので、運勢の周期を感じやすいと思います。
推命では、付いた十二運にもよりますが10年周期で変通星が一巡しますので、おおよそ5年好調、残り5年間は低調な時期というのが目安と言って良いでしょう。
気学でも震宮、巽宮、中宮、乾宮、兌宮の流れは運気が良いです。

好調な運気に入っていくと、いつの間にか恵まれた状況に慢心し気持ちが緩む、油断する、間違いに気が付いたとしても気が大きくなったり、楽観的な気分から改める努力を怠ったりする、といった事をしがちになります。
大吉は逆に凶であるとか、好事魔多し、といったことわざはこの事を伝えています。
それでも運気の強い時は周囲のフォローなど、偶然の助けで何とかなってしまうでしょう。
ですが、その運気も抜けて低迷した時からが大変です。
事態の収拾がつかなくなったり、自分が蒔いた種を刈り取ったりと、余計に苦労しなければならなくなるのです。

そのためにも好調な時から、人とは良い関係を築く、困っている人を助ける、弱いところは補強し仕事などは確実なものにしていく、慢心せず安定した立場を作る、といった努力をするべきなのです。
備えあれば憂いなし、いざ寒い冬が来ても困る事が少なくてすむでしょう。
また運気の低迷している時は判断力そのものも悪くなっているので、間違った選択をしないよう信頼できる人に相談するなどした方が良いと思います。
以前から取り組んでいた事を深めるなど、思索や成長の時期として当てるのが良いでしょう。

運勢の波を読んだり捉える事は大事で、ただ流されて生きるだけでなく、自分はその時に何をすべきか考えておくと良いと思います。
とは言っても私もですが、頭では分かっていても、やはり凶にならないと行動を改める事ができないのが人の常ですね。
しかし変化が起こってきて、今までのやり方が徐々に通用しなくなると、運気に陰りが出てきたのではないかと、兆しは感じられるものです。
これを素早く察知して改め、凶を未然防げれば、災いに至らない「咎なし」の状態になるのです。
受け入れられないとばかり、これまでのやり方を強引に通用させようとすると失墜する事態に陥ります。
気付いた時点で気持ちを切り替えて修正する事が大事、先読みをする事で、危機管理能力が育っていくと思います。

また、周囲の人、特に一緒暮らす家族とは運気を分かち合う関係になります。
本人が良い運気でも、坎宮に本命星が周る家族などがいれば、同じく苦労をしょわなければならない年になる場合があります。
友人も、坎宮に回ったお母様が病気、入院として出てしまい、お見舞いなど大変そうでしたが、本人は巽宮と運気が良かったのも手伝ってか、その後のお母様の回復も早かったようです。
運気が低迷している家族がいる場合、支える気持ちを持って暮らす事が大事です。

そして自分も運気を上げたければ、やはり運の良い人のそばにいる事です。
この場合、エネルギーに溢れていて一緒にいると元気になれる人、とも言えます。
放っておいてもそういう人の周りには自然に人が集まりやすいですが、やはり無意識に運のおすそわけがもらえるのを感じられるからでしょう。


夏至の太陽は一番高いところにあって、これから盛夏を迎えようというのに、翌日からは太陽の高度は低くなっていきます。
冬至も同じく、これから一番寒さ厳しい季節を迎えるのに、日は一日一日と伸びていきます。
下準備は人知の及ばない所でされていて、表れるまでには時間差があるのです。
好調だからと慢心していると、陰りの兆しが見えてきて、いつに間にか辺りは暗くなっていきます。
逆に窮地に陥っても明るい好転の兆しが、いつかは現れ始めるのです。

吉凶は表裏一体、吉だからと喜ぶばかりでもないし、凶だからと嘆くばかりでもない。
運気のあるがままを恐れずに受け止め、その都度対処を怠らず淡々と生きる事で、人生の荒波を上手に乗り越えられるのではないかと思っています。