ブラジル人には陽気というイメージがありますが、ボサノバが台頭してくる60年代より以前、
鑑賞するためのサンバとシャンソンを掛け合わせたような音楽が、50年代は圧倒的に多かったのです。
これは失恋や嫉妬をテーマにした哀しいラブソングでした。

このサンバ・カンサォンの女王といわれるのがマイーザです。

マイーザは名家の娘として何不自由なく育ちましたが、
音楽好きな母親の影響もあって自分で曲を書き始めました。

まだ18歳だった彼女は、世界の10大富豪に入るブラジル一のマタラーゾ家に嫁ぎます。
しかし皮肉な事に、酒と芸術をこよなく愛する父親が、娘の才能が活かされないのを残念に思い、
パーティである仕掛けをして、レコード会社の社長の目に留まるようにしました。
お嬢さんとして暮らしていた、まだ十代の彼女がなぜ酸いも甘いも咬み分けた渋い大人の歌が書けるのか、
そして極上の濃い情感を持った彼女のハスキーな声に、客たちは驚愕し魅了されました。
その上、彼女のお腹は大きく、赤ちゃんがいたのです。

マタラーゾ家のお嫁さんが簡単に歌手になれるわけもなく
ロイヤルティを寄付するという事で録音が許されたのですが、このレコードが大ヒット。
マタラーゾ家との亀裂を生じさせます。
愛している夫との板挟みに苦しむのですが、結局玉の輿の座を捨て歌手の道を選びます。

しかしその後の彼女はストレスでアルコール漬になったり、100キロを超える体重になったり、
酒と男性に溺れ自滅的な人生を歩んでいくようになります。
(1936年6月6日生まれの彼女は、太陽、火星合に海王星90度という典型的なアスペクトを持っています)
そして40歳の時、交通事故で天国に召されます。

危険な香りのする魔性の女マイーザを、ブラジル人は愛していたようです。
一時的にアル中から立ち直った彼女が、コンサート活動を再開した時
プレッシャーに耐えきれずお酒に手を出してしまい歌詞も思い出せないほどべろべろになってしまいました。
彼女はあまりのみじめさに涙を浮かべながら会場を後にしようとしたその時、
観衆はヤジではなく、温かな拍手を送ったというエピソードがあります。
ブラジルのTVではマイーザの伝記ドラマも制作されたようです。

マイーザに関する文献は日本では少ないようですが、
ルイ・カストロ著「ボサノバの歴史」には結構ページを割いて載っておりました。

その中で印象に残った言葉。。

深いグリーンの大きな瞳が、サーチライトのように光を放ち・・・
(19歳の時、パーティで歌を披露するため登場するシーンで)

「マイーザの両の瞳は、穏やかでない二つの大洋だ」
マヌエル・バンディラ(ブラジルの詩人) 

マイーザの魅力に誰しも虜になったといいます。
CDジャケットの眼差しからはそういった魅力と、
破滅的な人生を送る人間の、死の影が付きまとっているように思えてなりません。

それにしてもエリス・レジーナ、シルビア・テリス、ナラ・レオンと当時大活躍したボサノバの名歌手達は短命で、
そろいもそろって30代~40代で亡くなってしまうというのはどういう事なのでしょうか。。。







不幸な幸せ

幸せよ
おまえはきっと とても不幸だろうね
いつも孤独で
誰にも側にいてもらえず
幸せよ
一つ約束をしようじゃないの
写真を一葉送ってちょうだいな
おまえの顔が見られるように
おまえには確信があるようだけれど
運命は案外早く
私におまえの顔を忘れさせてしまいそうだからね
幸せよ
泣くのはおやめ
時には 私たちも
辛い思いをしたっていいのだから





真夜中に

真夜中
途方に暮れている私
これほど
哀しい事だとは
あなたがいないと知ることが・・・・
私の恋よ
哀しき恋よ・・・・

月のない夜は月を求め
愛なき私は愛を求める
二人して なにも持たずに
愛からこんなにも遠ざかり
巨大な苦悩に身を沈めている・・・・


   「マイーザの世界へようこそNo.2」 より歌詞を抜粋