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レナ・ホーン ~人種差別と闘い続けたジャズ歌手~ [音楽]

レナ・ホーン(1917~2010)

ザッツ・エンタテインメントは、MGMのミュージカル映画の歴史を、往年のスターのコメントと各作品のハイライトによって送る豪華絢爛なアンソロジー作品です。
次々と名場面が繰り広げられる圧倒的なスケール感を持つ映画ですが、素晴らしい歌手やその歌の、貴重な映像を見る事が出来ます。
中でも上品な美しさで、私が一際惹かれるのがレナ・ホーンです。

レナはブルックリンに生まれ、16歳でハーレムのコットンクラブの舞台に上がった後、ジャズ楽団との共演等で顔が売れ始め、低予算の黒人映画に主演して銀幕デビュー。
そこへハリウッドの大手、MGMと契約し、最初の映画、「パナマ・へティ」‘42年に出演します。
以後、主な出演は、
「キャビン・イン・ザ・スカイ」
「ストーミー・ウェザー」
「姉妹と水兵」
「ジーグフェルド・フォーリーズ」
「雲流るるはてに」
「歌詞と音楽」など。

彼女は女優として長期契約を結んだ初の黒人女性でしたが、役どころと言えば劇中において歌や踊りを披露する芸人の役ばかり。
これはアメリカの人種差別が激しかった時代、黒人が白人と絡んで演じる事が許されていなかった事に由来します。
人種差別が特に激しい南部での上映時には、出演部分がカットされる事もありました。
ヘアメイク達は彼女の髪をいじることを拒んだり、スタジオの食堂へ行くと、白人ウェイターからサービスを断られたりもしたそうです。
また、両親とも白人黒人との混合ハーフ、中途半端な肌の色のため、顔を黒く塗られる事もあったとの事。
彼女はハリウッドが求めるニグロ像に、強い抵抗を感じていました。
人気を博した彼女の成功を妬み非難する黒人もおり、さらに自分のアイデンティティの曖昧さにも苦しめられたのです。

‘94年に公開された「ザッツ・エンタテインメント、パートⅢ」では、77歳になったレナ自身が進行役の一人として出演しています。

>色々な思い出があります
良い思い出、悪い思い出・・・
ハリウッドはいわゆるホームではありませんでした
映画会社が黒人の扱いを迷っている時代でした
歌だけ歌うと私はすぐに立ち去りました
MGMの私の最初の映画、「パナマ・ハティ」
コールポーターの名曲を歌いました
本当は演技にも挑戦したかったのです<

‘46年の「雲流るるはてに」の一場面で、レナは「ショウ・ボート」の混血女性、ジュリーを演じました。
ショウ・ボートは1951年本格的に映画化されましたが、白人と黒人のロマンスは当時の映画ではご法度。
ジュリー役はエキゾチックな白人女優、エヴァ・ガードナーへ変えられてしまいました。
しかし、役の交代劇は良くある事。
その時の心情も語っていました。

レナは政治意識も大変高く、のちの公民権運動や演説にも積極的に参加し、人種差別の壁を壊していこうと活動していきます。
大戦中の慰問でも、白人兵士がステージ前、有色人種が最も後方という配置になっている事に憤って公演を拒否した事もありました。
問題視されてブラックリストにも載りアメリカでの活動が困難になりましたが、活動をヨーロッパに移すなどで揺るぎない自分を貫き通しました。
人種差別の酷かった20世紀のアメリカで、黒人女性として国民的スターとなり、後続に大きく道を切り開いた偉大な先達の一人となったのです。

レナ自身、黒人として歌も演技も自然な姿のまま、作りものではないありのままの自分として認めて欲しかったと思います。
私は私、誰にも変える事ができない唯一無二の自分である事に、誇りを持ちたかったのです。
人種差別によって彼女が体験してきた様々な思いは、イミテーションではない、ありのままの自分を貫く強い決意として刻まれていった事でしょう。
そして磨かれ、彼女は本物のダイヤとなったのです。

MGMの、昔から変わらないスタジオで同じ場所に立ち、仕事をした時の思いを淡々と語る様子は、とても美しいと感じました。
すっきりとしていて、自信と威厳に満ち、同じように年を経て出演されていた他の女優さん達よりも、ずっと若々しいと感じた程です。
年を取れば誰でも皺も増えますが、そういった現象も自然のままに受容したしなやかな輝きがありました。
ハリウッドという、ある意味欲望の渦巻く危険な世界に身を置きながら、自分を見失わずに、最後まで現役であり続け、92歳の大往生を遂げたレナ・ホーン。
人生における最終勝利者と言えるでしょう。

彼女が30歳の時、デューク・エリントンはその美しさを満開のバラの花に喩えたと言います。
さらに、50歳になってもなお若々しい彼女を見て、エリントンは「バラのつぼみの様だ」とも。
同時に棘も秘めている、そんな強さもバラそのもの。
美しい歌声と同時に、見る者の目を瞠らせる美貌。
微笑みながら登場し、とても表情豊かに歌う姿は艶やかで、まさに大輪のバラの様です。



ザッツ・エンタテインメントのパートⅠ~Ⅲに登場する映画からの曲をピックアップしました。



様々な歌手達が、慰問と言う形でショーを見せる「万雷の歓呼」‘43年。
大戦中と言う背景の、戦闘シーンがない戦意高揚映画。
「ハニー・サックルローズ」は、恋人をスイカズラの花に例えたとても甘い曲。





ハリウッドでは、ブロードウェイの作曲家やジャズマンの伝記物が数多く作られましたが、この「歌詞と音楽」‘48年もリチャード・ロジャースとロレンツ・ハートの生涯を描いた作品。
気ままな女性を歌う「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」。





ジェローム・カーンの伝記物、「雲流るるはてに」‘46年。
混血女性ジュリーとして愛する人を歌った、「キャント・ヘルプ・ラビン・ザットマン」。



人は言う
彼は怠け者で
血のめぐりが悪いと
そんなことはどうでもいい
私も知っている
それが分かっていても
あの人を愛さずにいられないの

一日雨が降り続いても
あの人が戻ってくれば
その日の私は幸せ!
太陽が空いっぱい光り輝く気分

あの人の帰りが遅くても
私は文句を言わない
あの人のいない家は
私の家ではないのだから
どうにもならないの
あの人を愛さずにはいられない私



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